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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

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今日も寝正月。

朝からずっと寝まくる。食事もとらずにひたすら寝る。そもそも食うものもない。今日は彼女と初詣に行く約束をしていたが、とても行けそうにない。家の電話が鳴って目が覚めたが動く気がせず、留守電になって切れた。その後携帯が鳴ったがやはり動く気がせず放っておいた。切れてからのろのろと時計を見ると昼前だった。携帯を見ると彼女からの不在着信と、いつの間にかメールが届いていた。メールの着メロには気づかなかったようだ。「今日、行けそう?」と書いてあるがもちろん無理である。そのまま電話すればいいものを、また寝てしまった。

昼過ぎになってようやく起き出す。昨日の昼に横浜でハンバーガーを食べて以来何も食べてない。コンビニでも行こうと思って外に出たら、すぐ近くの弁当屋があいていたので弁当を買ってきて食べた。他には酒屋、パチンコ屋、薬屋があいていた。酒屋とパチンコ屋はわかるが、なぜ薬屋が2日から営業するかな。

食べ終わってまた寝てしまった。寝てばかりだが、浅い眠りなのでよく夢を見る。自分の夢にはよく実家や家族が出てくる。その他には昔の友達なんかもよく出てくる。いずれも普段はほとんど忘れているものばかりだ。普段の生活でよく目にする場所や人などはあまり出てこない。深層心理の一部を垣間見る時間だ。そして布団に入ってぼ〜っとしているとき、眠っているわけではないが、ふと最近に見た夢の一場面を思い出したりする。ああ、なんでこんなところが出てくるのか。何でこんな懐かしい人が出てくるのか。自分でも不思議でたまらない。そして夢の内容を反芻しているうちに、以前に見た夢のかけらが次から次へと頭に浮かんでは消える。自分の頭の中には夢で見る世界が独立して存在しているのだろうか。普通に起きているときはその中身は見えないが、眠ったり瞑想状態に入るとその扉が開かれるのだろうか。これからまた夢の中へ旅立とうか。いい夢が見れるといいのだが。

今日も朝から咳き込んでいる。風邪がまだ治ってない。デイケア忘年会の日だが、午前中に病院に行くことにした。したのだが、まだ早いと思って二度寝したら10時頃まで寝てしまった。朝一に行こうと思っていたがちょいと寝過ごした。眠りながら「起きて病院に行かなきゃ〜、でも体が動かない〜」という夢を見ていた。少し強迫観念が入っている。調子が悪いときに見る夢だ。こんなことでも心理的に圧迫感を感じているのだろうか。

10時頃起きてやっと近くの医者に行ってみたところ、大盛況であった。診察を待っている患者が入り口近くまで溢れている。見た瞬間、踵を返して帰ってきてしまった。やだやだ、何時間も待たされたくはない。かえって病気になりそうだ。結局デイケア忘年会は休むことにして、日曜日からずっと飲んでいる市販の風邪薬を飲んで寝た。

風邪薬の副作用か、やたら眠くて夕方まで寝てしまった。相変わらず咳は出て、あまり咳ばかりしているのでわき腹が痛い。まだ黄色い痰が出てくる。喉にからんでいるというより、思い切り咳き込んで気管支の奥から吸い上げているという感じだ。

夜になると少し咳もましになった。明日は診察だ。病院が遠いのでやたらめんどくさく感じる。デイケアに出るかどうか迷っている。週末にはヴォーカルアンサンブル仲間の合宿も控えているし、できるだけ無理をしないように温存しておきたい。合宿中に咳が出るようだったら、咳止めシロップで抑えてやろう。あれは1997年だったか、スタジオアルシスが主催したヴォーカルアンサンブルのワークショップに2泊3日で参加したときも同じような状態で、そのときも咳止めでしのいだ記憶がある。結構効き目はあるが、飲みすぎると危ない強い薬だったと思う。完全自殺マニュアルにも出ていたっけな。いまだにこの本を愛読しているのはやはり危ないかもしれない。私は希志念慮はないしODもリスカもやらない。が、常に頭の隅っこに「最後の手段は…」というのがあることも事実だ。何だかんだ言って睡眠薬も100錠くらい溜め込んでいる。これもなんとなく「いざというときは…」というのが頭の片隅にあるからだ。できればこれらのお世話にならずにすませたい。

今日もデイケアに行けなかった。しかし、今日は単に眠たかっただけのような気がする。自分のことなのに「気がする」というのも変だが、朝のことをよく覚えてないのだ。朝は5時頃起きて、いつも通りメールチェックなんぞやっていたが、眠たくてまた寝てしまった。そして8時半頃いったん目が覚めて「あ、デイケアに行く時間だ」と思った記憶はある。が、そのまま寝てしまったようだ。単に眠たかっただけなのか。今日の午前中は卓球大会に向けて卓球の練習をするはずなので、行きたくない、という思いは自分の中にないはずだ、と思っているのだが、実際に体は動かず、眠ってしまった。やはり眠剤が残っているのだろうか。そして、夢を見た。電車に乗りながら、「今からなら11時頃には病院に着くから、1時間くらいは参加できるな」とデイケアに行っている途中の夢である。休職する前は、よく会社に行く夢を見ていたが、ついにデイケアに行く夢まで見てしまった。やはり深層心理では「行かなくては」という強迫観念が強いのか。

そんな夢を見つつ、目を覚ますと13時半。もう間に合わない。ありゃ〜と思いつつ、まあいいかと思って昼食を食べに外へ出る。が、また外へ出てから足が動かない。どこへ行って何を食べようかぜんぜん決められない。少し軽い鬱も入っているのか。また向かいの中華屋で昼食を食べて帰ってきた。そしてそれからの記憶があまりないのだが、またいつの間にか寝てしまっていたようだ。17時過ぎに彼女からの電話で目が覚めた。今日はその後、夜までずっと頭がぼ〜っとしていた。単に体調が悪いのか?眠気が取れないだけなのだろうか。よくわからないので、さっさと寝ることにする。

今日も昨日とほぼ同じ一日を過ごした。
つまり、朝いったんは起きたものの、デイケアには行かずに14時頃まで寝て、その後起きても部屋の片付けをすることもなく、かといって他に何もするわけでなく、なんとなく時間が過ぎていってしまった。昨日と違うこと、それは昨日は最初からデイケアに行く予定ではなかったが、今日はデイケアに行く予定だったことだ。

なぜデイケアに行けないのだろうか?それはまだ休職する前に、なぜ会社に行けないのだろうか?と自問自答したのと同じ問いだ。一年のカウンセリングを経てこの答えはなんとなくわかっている。いや、「わかっているつもり」で、それを実感として捉えられているわけではない。あくまでもカウンセラーに指摘されたことだ。早い話、自分では「会社に行きたくない」という無意識が働いているということだ。

会社に行っていた頃、たびたび繰り返し見る夢があった。それは、朝になって「起きなきゃ、起きなきゃ」と思っているのになかなか起き上がれない。目が覚めているのに体が動かない。そしてえいっと気合を入れてなんとか起き上がることができ、そのまま会社に行く。という夢で、しばらくすると自分がまだ寝ていることに気づき、「しまった、さっきのは夢だったのか」と思ってもう一度「起きなきゃ」と思って、えいっと起き上がる、がまたそれが夢だった…、というのを10回くらい繰り返すのだ。

その話をカウンセラーにしたところ、ものすごく強い強迫観念に取りつかれていて、本当は会社に行きたくないのにそのことに自分自身気がついてない、と指摘された。「会社に行かなければ」という「超自我」の束縛を、疲れ果てて悲鳴をあげている心と体が必死に夢の中でブロックしている、そういうことらしい。

そして今、そういう夢は見ていないが、デイケアに行けない、かといって他に何か有意義なことをしているでもない自分がここにいる。状況は全く同じである。自分としてはそんなに強いうつ状態に陥っているわけではないと思っているが、どうにも体が動かない。本当にデイケアに行きたくないのだろうか。だとしたらそれはなぜなのか。あるいは単に外に出るのがめんどうなのか。人と会うのが嫌なのだろうか。もっと単純に、ただ寝ていたいだけなのだろうか。いつもわからなくなる。考えはループする。いや、ただループするだけでなく、回りながら落ちていく。スパイラルに下降していく。

嫌な夢を見た。

重い荷物を持って山を登っている。山登りは好きだが、そういうのではなく、何か瓦のようなものを両手で抱えて登っていく。周りの人たちが軽快に自分を追い越していく。そのうち持っている荷物はどんどん重くなっていき、ゴール地点まであとわずか、石段のようなところを登っているところで力尽きて動けなくなった。そこで目が覚めた。5時半だった。3時過ぎに一度目が覚めた。目覚めが悪い。

今日はずっと低調だった。昼からビデオを借りてきて映画を観ていたが、疲れて途中で休憩をいれた。2時間ほどの映画でも、CMが入らずにずっと連続して観ているとけっこう神経が疲れる。ちなみに観たのは北野武の「その男、凶暴につき」。私が入院していた、そして今も通院している廃墟のような病院がロケで使われているという話を前々から聞いていて、観てみようと思っていたのだ。実際に出てきたのはわずかだったが、ちゃんと精神病院という設定で出てきた。おんぼろではあるが、初代院長がなだいなだ氏だという由緒正しい(?)精神病院なのだが。

夕方が一番低調で、ずっとテンションが低く寝たきりであった。鬱の闇が軽くジャブをしかけてきた。ヨガの体操をやって少し落ち着いた。ヨガにしろ自律訓練法にしろ呼吸法にしろ、継続してやらないといけないのだが、ついついさぼりがちになる。