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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:カウンセリング

昨日も今日も寝たきりだった。

今日の夜、デイケアの仲間から電話があった。
なんと、デイケアのスタッフでもある私のカウンセラーが、ドクターストップがかかって3月いっぱいで退職するらしいのだ。

カウンセリングは、カウンセラーが変わるとまた一からやり直しなのである。というか、今からやり直しはきかない。私に残された時間はもう少ないのだ。

これからどうなるのか。とにかくずっと休んでいるデイケアになんとしてでも行って、どうしたらいいかカウンセラーと話すのだ。なんとかしなくては。

昨日のもくろみは見事に失敗した。

朝は早くに起きていつものごとくPCに向かっていた。しかし、いつもより気が重い。

そして、着替えようと、タンスのある寝室に入ったところで、「がまんができない」そういう感じで布団に潜り込んで寝てしまった。

今日は「眠い」のではない。「重い」のだ。

この重さはなんだ。

昼前に起きて、のろのろと着替える。なんとか動けそうだったのでとりあえずそのまま家を出る。横浜駅でまずいカレーを食って病院へ。

デイケアではミーティングをやっていたが、私はそこに辿り着くだけでかなり消耗したのでしばらく部屋の隅で横になっていた。ミーティングでは忘年会で作る食事の相談をしている。

カウンセリングでこの「重さ」について話す。歌の練習に行ったり彼女と買い物に行ったりするのは平気でできる。もっと調子が悪いときはそれすらままならないが、少なくとも昨日は平気で外出していた。それらは「軽い」のだ。

しかし、「デイケアに行く」となるととたんに「重く」なる。鬱が入りこんできて体を心を蝕む。

カウンセラーは、デイケアに来ることが社会復帰のためのステップであるからではないか、と指摘する。デイケアに来ることイコール会社に行くことなのだ。そして私はまだ休職のリミットまで1年以上あるにもかかわらず、そのリミットにしばられて焦っている。無意識に焦っている。「早く復帰しなきゃ」「そのためにデイケアに行って訓練しなきゃ」そういう思いが帰って自分を縛り上げる。

カウンセラーは言う。逆説的だが、いったんそのリミット、つまり「会社」という枠を取り払って考えられるようになれば、ふっと軽くなるのではないか。枠を取り払うとはどういうことか。休職の期限が過ぎて会社に戻ることが叶わなくとも、幸い自分はエンジニアだし、他の会社へ行ったり独立開業したりして食っていける、漠然とでいいがそういう自信を持っていれば、「今の会社の休職のリミット」を意識しなくてもよくなり、心は軽くなるのではないか、というのである。

これはこれで難しい課題だなあ。「難しく考えないでいい」カウンセラーは言う。「デイケアに遊びに来る感覚でいい」そうも言う。社会復帰のための訓練とかそういうつもりでなく、家にいてごろごろして昼夜逆転したりしてむちゃくちゃになるよりかは、外へ出て遊んだ方がまだましだ。それくらいのつもりで軽く来たらいい、そう言う。

できるかなあ。

今日は午後からだが、やっとデイケアに行くことができた。

昨日は22時半頃に寝たが、やはり寝付けずに23時半過ぎに追加眠剤を飲み、眠たくなるまでまたネットをしていた。また懲りずに懸賞に応募していた。もうトータルで2000件以上に応募している。いったい何をやっているんだか。もうやめよう。結局1時過ぎに起きた。

できれば今日は朝からデイケアに行くことにチャレンジしてみようと目覚ましをかけておいた。実は早朝覚醒が起こるようになってからしばらく目覚ましをかける習慣がなくなっていたのだが、久しぶりに目覚ましをかけてみた。だが7時にセットした目覚ましが鳴る30分も前に目が覚め、目覚ましを止めておいてから大量に来ているメールを処理していた。メルマガが大量に来ているので、その中から当選発表のやつだけ探して当たっているか確認し、外れていたらメルマガを解除していく。30分くらいして終わったので、7時半に目覚ましをセットしなおし、もう一度布団に潜り込んだ。その時は体は動く、と思った。

7時半に目覚ましが鳴った。止めたのはいいが、さっきと違ってまるで体が動かない。そのまままた寝てしまった。

お昼になって彼女に起こされ、昼食を食べる。そのあと、のろのろと着替えているうちに「今日はこのまま動けそうな気がする」そう思ってそのままカバンをもって家を出た。久しぶりに病院に行った。

デイケアでは月曜の午後からはミーティングをやっているが、今日は12月に行く鎌倉散策のプランを練っている。3つのグループに分かれてそれぞれプランを練る。私はなんちゃら切り通し、というハイクコースに入ってどこを歩くかみんなと相談した。

15時から3週間ぶりのカウンセリング。今の状態をかいつまんで話した。前と同じ状況に陥ってしまったが、あれだけ注意していたのになぜまた調子を崩したのか。何が原因なのか自分ではわからない。これからどうしたらいいかもわからない。前回は入院という外的手段で元に戻したから、自分でなんとかする方法はまだわからないのだ。

カウンセラーは、調子を崩した原因が心理的なものではない、つまり内的要因ではなくて外的要因にあるのではないかと推測した。あれだけ気をつけていたのに何がきっかけとなって調子を崩したのか。その外的要因となったのが、「職場復帰のリミット」である。このリミットは、本当に最後の最後のリミットではなく、自分が職場復帰の計画としてたてていたリミットである。実際にはまだ1年以上の猶予はあるのだが、傷病手当金が来年の3月からぐっと減ってしまうことなどを考え、できれば来年の1月、遅くとも4月には復帰したい、と計画を立てていた。そして退院してデイケアに3ヶ月通って調子を崩さなければ会社の人事部と復職の時期について相談しよう、そう考えていたし、カウンセラーにもそれを伝えていた。

しかし、実際にそのリミットが近づいてくることを意識したことで、感情面の不安が大きくなり、結果的にその不安が鬱を引き起こしたのだろう、そうカウンセラーは指摘する。ではこれからどうすればいいのか。あれこれ話をしたが、とりあえず自信をつけること。自分もそう思っていたが、カウンセラーもそう言う。それももっと大きなレベルでの自信。たとえ今の職場に復帰できなくとも、自分のポテンシャルを信じて、どんな形であれ何か仕事をしてやっていけるだろう。そういう漠然とした自信を持つことだという。そうすれば不安は消えるだろう。そういうことらしい。

私も数年前まではそういう自信があった。システムエンジニアという専門職の能力には自信を持っていたし、いざとなったら腕一本でフリーで食っていける、と考えていた。しかし、この業界は技術の進歩が激しい。もう何年も現場から遠ざかっている自分にとって、エンジニアとしてこれからやっていけるのだろうか。今の会社に戻れば、私のブランクを考慮して仕事の配置を考えてくれるかもしれない。しかし、他の会社で働いたり、自分一人でやっていくとなると、どうなるのか。自分のできる範囲でできることをやっていくしかないが、そこの自信は以前よりもかなりなくなっている。そして、一番大きな不安材料、それは「この病気は治るのか?」そこにたどりつく。たとえどんな形でも、健康で体が動きさえすればなんとかやっていけるだろう。しかし、今のように体が動かなければ何にもできない。結局一番おおもとの大きな不安「この病気が治るのか?」そこに辿り着くのだ。その不安を消し去ることはできるのだろうか。そして、本当にこの病気は治るのだろうか。

しかし、今日久しぶりに病院に行ってみて、少し自信がついたような気がする。一歩前へ踏み出せた感じだ。「まだ自分は大丈夫だ。ちゃんと外へ出てそれなりにやっていける」そういう小さな自信だが、小さな自信を積み重ねていって大きな自信をつけるしか今の自分にはできない。明日もデイケアに行けますように。

今日はちょっと実験をしてみた。

先週の金曜日、朝起きてそんなに調子が悪くないのに「今日は行くのやめよう」と決めたことについて、自分でなんでだろう?と考えていたのだが、ある一つの推論をしたのだ。それは、以前カウンセラーに指摘されたことがヒントになっている。「無意識では自分は『行きたくない』と思っているのだが、それを認めないために『行かなければ』という自分の超自我と対立して葛藤を起こし、鬱という症状として現れる。いっそ自分で『行きたくない』ことを認めてしまえばいい。そうすることによって、無意識のレベルのものを意識上に持ってくればコントロール可能になる」ということだ。何週間か前の日記に書いたかと思う。

金曜日、起きてから「休もう」と決めたのは、ひょっとして「行きたくない」というのを自分で認めていたのではないか。それで「行かない」ということを決めたのではないか。自分の意識レベル下の「行きたくない」が、意識上に上ってきつつあるのではないだろうか。それをさらに進めていけば、「本当は行きたくないんだけど、まあまあそうは言ってもいくのが当たり前だから」と自分の心の中で折り合いをつけて、行くことができるようになるのではないか。

前置きが長かったが、今日は何をしたかというと、朝起きたときに「今日は行きたくないぞ〜」と自分でわざと意識してみたのだ。そうすることによって、より自分の意識の中に無意識のレベルにあるものをとりこめてコントロールできるのではないか、逆説的だが「行きたくない」とわざと思うことで行くことができるのではないか、そう思ったのだ。そして結果は…、全く動くことができなかった。朝、ぜんぜん動けなかった。うむ、そんな簡単にいくものではない。ちょっと見通しが甘かったか。

しかしながら今日はカウンセリングがある。いつもの日ならそのまま休んだって構わないが、今日は無意識ではなく、はっきりと意識上に確信的な「行かなければならない」があるのだ。しかし体は動かない。「行かなければ、行かなければ」これは困った、いくらがんばっても体は動かない。そうして粘ることしばらく、12時過ぎにようやく「がばっ」と起き上がることができた。動けたのである。よし、今がチャンスだ。急いで服を着替えると髭も剃らずにそのまま家を飛び出した。行ってしまえばこっちのものだ。外に出れば体は動くのだ。要は「最初の一歩」がいつも踏み出せないのだ。

病院についたら14時前。デイケアでは11月に行くイベントのミーティングをやっている。矢切の渡しに行く予定だったのだが、なぜか企画が上に通らなくて箱根観光に変更になったようだ。箱根のどの辺に行くか相談していた。

そして15時からカウンセリング。先週は祝日で休みだったから2週間ぶりである。ここ2週間、特に先週1週間の調子が悪い様子を1日ずつ話していく。私の話を聞いてカウンセラーは開口一番「外に出る、というのが相当重いようですね」と言う。バスツアーでさえ昼過ぎには疲れた、というのは相当外にいることで気を張っている証拠だ。普通そういう日帰り旅行に行ったらリフレッシュして帰ってくるものだ。そんなに予定を詰め込んだツアーでもないのに、なぜ昼過ぎに疲れてしまったのか。

家の中にいる自分と外に出た自分は全く違う。外に出た瞬間、私は「外づらの男」になり、周りから「こうあるべき」人間を演じるために気を張っている。そう生きてきたのだ。

今までのカウンセリングを通じて何回も指摘されてきたことだ。外にいると私はリラックスできないのだ。常に、である。だから疲れる。だが夏はそんなことなかった。多少夏ばて気味で疲れてはいたが、なんとかデイケアにも通っていた。それがなぜこんなにも外へ出るのがしんどくなったのか。そこはまだわからない。「ちゃんと毎日通えていた」という実績はある。そしてその頃は「このまま順調に行けば職場復帰もできる」という自信もついてきていた。しかし今はまた自信を喪失している。

これから自分はどうすればいいのか。カウンセラー曰く、自信をつけること、取り戻すことだと言う。実績はあるのに自信がない。もう一度実績を積み重ねるしかないのか。

最後に「いろいろ話しましたが、考えるのはこの時間だけにして、来週のこの時間まで考えなくていいです」と言われた。考えるとループに陥ってしまう。考えるより動け、動くのだ。明日もあさってもしあさっても、とにかく動くのだ。動こう。大丈夫、自信は取り戻せるだろう。そう思って前向きに行こう。

昨日は23時過ぎに寝たっけな。3時に一度目が覚めてトイレに行き、また寝た。そして朝になって彼女の目覚ましが鳴って目が覚めたが、私はしばらく寝ていた。結局起きたのは7時10分。ちょいと眠い。それでもデイケアに行く準備をして朝食を食べ、家を出る時間までテレビを観ていたところ、腹が痛くなってトイレへ。そしてしばらくしてまたトイレへ。いかん、腹をこわしてしまった。トイレから出ても腹痛が止まらない。もう家を出ないといけないが、正露丸を飲んでしばらく様子を見ようと布団に横になった。そしてそのまま意識を失った。

気がつくと10時。腹の痛みはなくなっていたが、いつの間にか寝過ごしてしまった。私はリーダーなので午前中のスポーツを仕切らないといけないが、当然間に合うはずもなく、電話して遅れる旨を伝える。そしてそのまま行こうと思ったが、なんか眠たくてまた寝てしまった。次に起きると昼の12時。なんだなんだ、朝はそうでもなかったのに、やたら眠たい。結局彼女がバイトにでかける12時40分に一緒に家を出た。今日は月曜日なのでカウンセリングがあるが、それがなければ休んでしまおうかと思うくらい眠たかった。

病院についたら2時20分くらい。ミーティングの真っ最中だった。10月の外出イベントで行くところの最終決定をやっていたが、私が出した「マザー牧場」の案は既に落とされていて、「日帰り箱根温泉ツアー」か、「目黒寄生虫博物館」か、「矢切の渡し&柴又帝釈天」の3つから選ぶところであった。結局矢切の渡しになった。なんか今回は渋いなあ。

その後はカウンセリング。この時点でもずっと眠い状態が続いていて、眠いながらも先週から今週にかけての様子を話す。カウンセラーの話では、私はだいぶ自分のことを把握してコントロールしていけるようになってはいるが、やはり自分に求める理想像、目標が高く、そのギャップを埋めようと無意識に焦ってしまっているという。そのギャップが広がればまた悪循環に陥る可能性があるという。

「焦っている」という行動のあらわれの象徴的なことが、先週の土曜日、前の週に映画を観てその後調子を崩したにもかかわらず、そして夜に自分の結婚を祝ってくれる会があるにもかかわらず、その日の昼に「映画を観る」というイベントを入れたことだという。

普通なら先週映画を観て調子悪かったんだから、今日は夜に大事な会があるのなら今週は控えておこう、と思うはずだろう。しかしあえてそういう予定を入れてしまったのは、やはり「こんなはずじゃない。先週はだめだったけど今週は大丈夫だ」という、自分の中でリベンジしたい、というような思いがあったから。それは「映画くらいで疲れたりしない自分」という理想像に対するギャップを一刻も早く消し去ろうという無意識の決断である。

今回は映画を観てもそんなに疲れを感じずに夜の飲み会に出られたからよかったものの、これが逆の結果になっていたらどうなっていたか。今週もだめだったという失望の思いと、それに加えてもし夜の会に出席できないほど疲れてしまってパスしてしまような状態になっていたら、相当な自責の念が生まれ、そのギャップはますます大きくなり、悪循環に陥る恐れがあっただろう。

こう書くとあきらかに焦っている。焦っていないつもりだけど行動を見ると無意識に焦っている。このギャップを縮めるためには、もう自分で「焦っている」という事実を受け入れるしかない。「焦っている自分」を無意識から意識の表面上にもってくるのだ。無意識の領域にあるものはコントロールできないが、意識の上に出てきたものはコントロールできる。

日曜日に一日中寝ていたのも、今日もこんなに眠たいのも、やはり疲れが自分の予想以上に残っているからかもしれない。それはやはり今の自分の状態、つまり「これくらい活動したらこれくらい疲れて、そして回復にこれくらいかかるだろう」という見積もりに甘さがあるのだ。

自分の状態はまだ自分で思っているほど回復していない。自分のキャパシティがわかっていないから過活動になってしまい、疲れをあとに引きずってしまうのだろう。これからはもっと慎重になって、とりあえずこのギャップを広げないようにしないといけない。焦ってはいけないが、現に自分は焦っている。これを素直に認めるのだ。

カウンセリングが終わって帰るときもくたくただった。途中横浜でおいしいシュークリームを買って帰る。夕食後食べたらうまかったのだ。ささやかな楽しみである。