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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:お仕事

今日は会社の健康管理室に行って嘱託医と面接した。

もう自分には時間がない。休職のリミットは今年の6月いっぱいなのだ。どこかのタイミングで出るしかない。とにかく決めてしまって、それに向けて動き出さなければならない。「5月でいきましょう」嘱託医は言った。3月というのも今からでは難しいが、4月では会社でも人事異動などであわただしくなる。復職したときに周りの環境が落ち着いていた方がいい。しかし6月はもうぎりぎりなので、5月で行こう、ということなのだ。

調子が良くても悪くても、出るしかない。嘱託医の見立てでは、この数ヶ月で私自身の状態は改善しているし、多分大丈夫だろうということだ。以前と比べると、割と最近は安定傾向にある。今後は通院している病院の主治医と復職の可能性について相談し、3月に入った頃に人事部と相談することにした。

職場に復帰してやっていけるかどうかは、正直言って全く自信がない。しかし、このままこの生活を続けることもできない。やってみるしかないのだ。

今日は会社の健康管理室へ行って、嘱託医と2回目の面接をした。

嘱託医とはそんなにたくさん話をしたわけではないのだが、前回と今回の話をしているだけで、「背中に背負っているものが重たい」と言われた。やはり私はいつも空回りしているのだ。いつも勝手に悪循環に陥っているのだ。

どの本を読んでも、うつ病の治療の基本は投薬と休息であると書いてある。もうこんなに休んでちゃんと薬も飲んでいるのに、なんで治らないんだ。ずっとそう思っている。だがそれがかえって自分にプレッシャーを与えているようだ。「何がなんでも治さねば」という「ねばならない」ができてしまっている。これは病院のカウンセラーにもさんざん指摘されたことなのに、やはり自分でわかっていない。自分で荷物を抱え込んでいるのだ。もっと開き直れれば、というか、軽くできたらいいのだろうが。

「会社に復帰することと病気を治すことは違うから」と嘱託医は言う。しかし、病気が完全によくならないのに復職させてもらえるのか。それが自分にとって疑問なのだ。

今年の5月はじめ、入院中の私は一晩で躁転した。そして2週間くらいしてノーマルな状態に落ち着いたとき、「この状態が続けば復職できる」と思った。そして会社の人事部と相談したのだ。その際に言われた復職の手続きの中で、「復職の前に3ヶ月の仮出社期間を設ける。その間にぶり返すようなことがあると、復職を認めない。完全に病気が治った状態でないと復職できない」というようなことを言われたのだ。

だから私は嘱託医に、そのことを伝えた。人事部からは完全によくなってから、ということを言われてるのですが、どうすればいいのか。嘱託医と人事部は完全に意思疎通されているわけではないようだ。「その辺の基準はまだきっちりと固まってないはずだが…」と言われた。実際、嘱託医が見てきたなかで私のように休職から復帰した人も、完璧にできた人は少なく、スタートで多少つまづいたり、途中でちょっとへばったり(このパターンが多いそうだ)、そうやってなんとか軌道に乗っていくものらしい。しかしまあ、最終的にはほとんどの人が復帰できているそうなのだ。

残念ながら私は退院して一週間で鬱に落ちてしまった。今の状態では復職に向けて具体的に動くことはできない。しかしタイムリミットは近づいてくる。ラストチャンスで入院するか何かしてとりあえず状態を安定させて、なんとか仮出社にこぎつける、というシナリオでいくしかないか。

ところでその嘱託医はちょっと変わった人なのだ。神経科の医者ということなのだがあまり医者っぽくなく、どちらかと言うと心理療法士に近いような印象を受ける。そして今日は、鬱を治すのに光療法を勧めてきた。光療法とはうつ病の治療法の一つなのだが、日本ではあまり行われていない。「主治医に話すと反対されるだろうけどね」と言いつつ、光療法用の照明器具が海外の製品であるから、と紹介してくれた。「ちょっと怪しいところが輸入しているんだけどね」と言う。大丈夫なのだろうか。「効く人にとっては抜群の効果がある。ただ躁転してしまうこともある」と言うのだが。

今日は退院してから初めての診察の日。予約は10時だった。

しかし、朝起きてみると完全な鬱状態で動けない。しかたがないから寝る。夢の中に、必死に病院に行こうとする自分がいた。

10時過ぎになってようやく動けるようになった。病院へ電話して、今から行っても診察してもらえるか尋ねた。先生に確認するので10分くらいしてもう一度電話をください、と言われたのでそのようにしたら、「できるだけ早く来てください」とのこと。何時までなら診てくれるか、と再度確認したが、何時まで、とは言わずにできるだけ早く、とだけ言ったそうだ。これはどういうことか。何時になったら「はい終了」ということはせず、がんばって何とか行けば、先生は待っててくれるのか。前の主治医は午後も診察していたが、今の主治医は基本的に午前中だけなのだ。とにかく考える余地はない。すぐに家を出た。幸い電車もバスもベストな乗り継ぎで、最短の時間で病院に着いた11時40分くらいだったろうか。まだ全員の診察は終わってなく、2人くらい、時間にして30分くらい待たされた。

診察では先週鬱が再発したことを告げ、抗鬱剤が1つ追加された。復職に関しては、また様子を見る必要がある、という認識で一致した。復職にあたって会社側から提示されている条件が「完全に回復した、という医師の診断が必要」ということを話すと、「非常に厳しい」との見解。やはりそうなのだ。いきなりフルタイムで働くことなんて無理なのだ。

診察が終わってからデイケアに顔を出す。今日はみんなで映画を観ていた。なんと「アイアムサム」だ。去年もデイケアで観たぞ、これ。私は映画館でも観たから3回目だった。でもまた泣いてしまった。いい映画は何度でも泣ける。

家に帰ってきてから会社の人事部に電話し、医師から「厳しい」と言われたことを告げ、相談する。実は私が何年も会社を休んでいる間に、健康管理室に新しく心療内科の産業医が来るようになっているらしい。その産業医と相談したい、と申し出ると、自分で連絡を取って会ってくれ、と言うので連絡先を聞いて健康管理室に電話してみた。医者は今日は来ていないが、看護婦がいて私の話をよく聞いてくれた。「人事部の人は、完全に治って週5日、1日7時間半働けることが前提だ、と言ってるのですが」と言うと「そんなの無理に決まってるわよ、最初は週1日とか、そういうのから徐々にリハビリしていくものなのよ」と力強いお言葉。「最初はそのような勤務から始めさせてもらえるようにお医者様から人事部の方に助言していただけるでしょうか」という質問には「もちろん」というこれまた頼もしいお言葉。どうやら健康管理室は私の味方になってくれそうだ。どうなることかと思っていたが、少し光が見えてきた。

今日、会社へ行って人事部の人と面接してきた。

自分の直近の状態を伝え、そして人事部の人から復職に向けての手続きについて説明された。自分が思っていた以上にいくつものステップがあり、自分も慎重にしないといけないが、会社側もかなり慎重にしているようだった。

まず、今は入院中なので、退院したらその時点での診断書を持って、もう一度人事部の人と面接をしなければならない。そしてその次に会社の産業医(心療内科)と面接をしなければならない。最後に自分が復帰する部署の部長と面接をしなければいけない。これらをクリアして、やっと復職できる。復職時には会社所定の書式の診断書を主治医に書いてもらわないといけないが、これがものすごく細かいことまで書くようになっているらしいのだ。と言うのも診断書の書式を医者にまかせると、おおざっぱすぎて、具体的にどういう場合に、何をどんな風に気をつけたらいいのか、とにかくそういう細かいところまで患者(社員)の情報がほしい、というわけである。社員のことを本当によく考えている証拠である。順調に行けば復職は夏真っ盛りの8月頃か。

しかし、復帰しても自分はもう前のようにばりばり働けない。病気が完治して戻ってきたのではなく、こころの病というハンディキャップを背負って戻ってくることになった、だからその点の配慮をお願いしたい、そういうことを人事部に正直に話した。精神障害者保険福祉手帳を申請したことも話した。うちの会社は障害者をたくさん雇用している。精神障害者に関しては企業の雇用義務はない。(身体障害者と知的障害者に関しては、企業は従業員の数に応じて一定数の障害者を雇用しないといけなく、一定数に満たない分はペナルティを払わなければならない、という法律があるが、精神障害者はまだ蚊帳の外である)しかし、うちの会社は2年ほど前に精神障害者を対象に10人の募集をかけた、というくらい進んでいるのだ。こういうハンディキャップを持ってしまった社員を受け入れてほしい、という願いは通じるはずだ。

とにかく、今は焦らずにゆっくりと回復を待つのみである。まだちょっと躁気味で、下手すると突っ走ろうとする傾向がある。