TOPに戻る
鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2018年2月16日

先週から内科の薬がジェネリックに変わった。

最近の薬には名前が印刷されているんだな。落っことしたとき便利かも。

「僕のフェノフィブラート、見かけませんでした?」

 

今日は母の命日。亡くなってから7年経つ。去年は7回忌だったが、調子が悪くて大阪に帰れなかった。つくづく親不孝な息子だ。3回忌のときからずっと帰ってない。その間に何回も法事があったのだが、ずっと出られなかった。不義理ばっかりである。なんとか体調の良いときに帰りたいと思っていた。

 

で、去年の9月の話である。書いていてちょっととりとめがなくなってしまった。

 

だいたい自分の体調のサイクルとして、冬は調子が悪く、夏場は比較的調子が上がってくることが多い。そこで、去年の夏に思い切って大阪に帰ってみた。自分としてはチャレンジである。法事のときに帰るべきだろうが、そうなると自分のペースで動けない。しんどいときはおとなしく休みたいのだ。ただ帰って、母のお墓参りだけして、あとは以前から父親に言われている自分の部屋の片付けをちょっとやって帰ればいい、それくらいを2泊3日でできればいいと思っていた。ちょうど3日目に自分がかつて所属していた合唱団の演奏会が京都である。よし、ちょっと京都に寄って帰ろう。

自分が帰るということを父親に知らせたのが、予定の1ヶ月ちょっと前。すると、自分の帰省にあわせて「祖母の早めの一周忌」を父親がぶち込んできた。予定が大幅に狂った。比較的調子がいいとは言え、こんなしんどいのに、横浜と大阪を往復するだけで疲労困憊するだろうに、自分の体調は大丈夫か?自分の体調と相談しながら動けないぞ?そんな不安を胸に大阪へ帰った。

不思議なことに、なんとか体が動いた。1日目はそれこそ帰って兄夫婦の家に泊まるだけだったが(実家は母親が亡くなってから荒れ放題)、2日目は地獄。午前中から実家に行って部屋の片付け、午後からそのまま法要、そのままお墓へ移動して納骨、実家へ帰ってきてからすぐに会食の場所へ車で移動。そして会食が2時間くらい。久しぶりにずっと従姉妹と喋っていた。お開きになってからもまだ自分と喋りたいというので、兄夫婦の家に戻ってから夜の12時くらいまで喋り倒した。とは言え自分はいい加減ふらふらだったので、ほとんど相槌を打っていただけに近い。

さらにその2日目の朝のこと、母方の叔父が倒れて危ない状態になった、という一報が入った。帰省3日目は朝からお見舞いに行って、そのまま昼食を挟んで京都に移動し、ふらふらなまま演奏会を聴いて新幹線で帰った。しんどかったが、25周年記念演奏会ということでたくさんの知り合いが来ており、久しぶりに会えて嬉しかった。多少無理しても行ってよかった。

帰ってから1週間は寝込むだろうと予想していたが、その予想は外れて3週間寝込んだ。それからまたずっと調子が悪い。やはり詰め込みすぎだのだろうか。

 

次はいつ帰れるだろうか。交通費もかかるし、そう頻繁には帰れそうにない。