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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2013年9月16日

またしても、「恋するフォーチュンクッキー」の自主制作PVを発見。「俺もやってみたい!」と思っているのは、どうやら私だけではないようだ。

というか、前のサマンサタバサにしても、佐賀県庁にしても、このGMOもひかりTVもみんな「宣伝効果」を狙ってるのはわかっているのだが、やっぱり楽しそうに踊っているのを見るのはこっちも楽しいし、やっぱり踊りたくなる。

GMOインターネットグループSTAFFバージョン

ひかりTV STAFFバージョン

こうなったら、新しいのを見つけたらどんどん載っけていくとするか。

俺もやってみたい・・・・。

日本各地で台風の被害がひどかったようだ。

しかし、自分が住んでいる横浜の沿岸近くでは、風は激しかったものの、雨はたいして降らなかった。

朝からネットでの台風進路予想や、窓の外の様子をウォッチしていた。正午を過ぎて、「よし、行ける」と確信し、妻と一緒にパシフィコ横浜で開催されている「マンモスYUKA展」に行った。昨日の日記では「せっかくの機会なのに、台風なので行けそうにない」と書いたのだが、無事行くことができた。

今日が展示の最終日で、さらに連休である。通常ならかなりの人だかりで長い行列ができ、やっと入れたのはいいが、人ばっかりでよく見えないよ、という状態だっただろう。しかし今日は台風の影響で人もまばら。チケット売り場も並んでいなかった。

チケットは大人2,200円だが、運良く自分たち二人は無料で入れた。表立って書いてないのであまり知られてはいないかもしれないが、障害者手帳を提示すると、たいていの動物園や水族館、美術館、博物館などは入場料が割り引きになったり半額になったり、運がいいと無料になったりする。他にも寺社仏閣の拝観料が半額や無料になったり、ほとんどの映画館で映画が千円で見れたりする。これは大変ありがたい。

こういう展示会や美術館、博物館などは撮影禁止の場合が多いが、目玉の「冷凍マンモスYUKA」と「冷凍マサイKOLYMA」以外は撮影OKだったので、展示を見つつ、100枚以上も写真を撮りまくってしまった。混んでいたらこうはいかなかっただろう。

展示は予想以上にボリュームがあった。マンモスの起源となるなゾウの詳しい説明やら多くの化石の展示やら何やら。マンモスの牙に触ったり毛に触ったりもできた。たっぷり2時間くらい会場にいた。

13時頃に入ったときには、チケット売り場はがらがらだったのに、15時頃に外に出た時は長蛇の列だった。台風が去ったので、みんな急いで来たんだろう。出だしが一歩早かったのが功を奏した。

しかし、家に帰ってテレビをつけると、ずっと台風情報。まさかこんなに全国的に被害が出ているとは思っていなかった。最初はこの記事のタイトルを「マンモスラッキー」にしていたのだが、ラッキーだなんて書いている場合ではないと思って変更した。被害を被られた方々にはお見舞いを申し上げる次第である。

 

アフリカゾウ

アフリカゾウの化石。これだけでも十分見応えがある。

 

アジアゾウ

こちらはアジアゾウ。アフリカゾウより一回り小さい。

 

ナウマン象

こちらはナウマンゾウ。

 

ケマンモス

そしてこれがケマンモス。マンモスにも数種類あるみたいで、今回の展示はこのケマンモス。「毛」に覆われていたから「ケマンモス」らしい。

 

ケマンモスの大腿骨

ケマンモスの大腿骨。触ることができたが、どう見ても触っても「木」としか思えない。

 

マンモスハウス

これはケマンモスの「毛」。触ることができるようになったいた。触ってみたが、「毛」である。しかし、1万年前の「毛」と思うとなんだか不思議でたまらない。

 

 

マンモスの骨や牙や皮で作った「マンモスハウス」。昔の人類は、マンモスで家まで作っていたというので驚き。

メインの展示である「YUKA」は撮影禁止だったので掲載できないが、思ったよりもかなり小さかった。それもそのはず、「YUKA」は少女のマンモスだったらしい。そうかあ、少女だったからユカという名前なんだねえ。って、そんなはずはない。発見された地域の名前「ユカギル」にちなんで「ユカ」と名づけられたそうだ。

ちょうど去年の今ごろだっただろうか。自分の頭がおかしくなり始めたのは。
その頃、自分はこんな夢ばかり見るようになっていた。

・昔の友だちばかり出てくる夢
・就職できそうなのにあと一歩でだめな夢
・自殺しようとする夢

これらの複合パターンもあった。体調が安定したらまた就職活動をしようと思っているのに、さっぱりよくならなくて、焦りがピークに達していたのだろうか。現実逃避や焦燥感が色濃い。特に去年の9月12日の夢は、一番衝撃的で、今でも思い出すとやりきれなくなる。その部分をそのまま抜粋する。

以前勤務していた会社の先輩が、私の窮状を知って「うちの会社に来なよ」と言ってくれた。

喜び勇んで会社に行ったものの、自分の席はなく、先輩から「そこにずっと立っていていいから。何もしなくていいよ」と言われた。

いたたまれなくなって、もう屋上から飛び降りようと思って階段を駆け上がった。しかし屋上への扉には鍵がかかっていた。

その後は、よく覚えていない。

自分が自殺未遂を図ったのは去年の11月のことで、そのきっかけとなることが起こったのは10月のことだが、その少し前から希死念慮が既に顔を覗かせていたのだろうか。

しかし、就職や自殺に関する夢は何回かしか見なかったのに、「昔の友だちが出てくる夢」はその後もずっと見続けた。会社の同期の連中、大学の合唱団の仲間、高校時代の部活の仲間、中1のときの担任の先生まで出てきた。

やがて、夢に出てくるのは合唱団の仲間の一握りの友だちだけになり、毎日のように繰り返し出てくるようになった。目が覚めるたびに昔が懐かしくなり、同時に今の絶望感は大きくなり、「もう夢に出てくるな!」そう思ったりもした。

そして、自分は前を向くことができなくなった。

気がつくと、いつも昔、特に学生時代のことを考えているのだ。いろんなことがあったし、あるべきものがなかった。楽しいこともあれば、つらいこともあった。一番つらいことを、誰にも相談できずに苦しんでいた。いろんな悩みがあった。いろんな失敗があった。今ならもっとうまくやれるのに。後悔の多い学生時代だったから、もう一度やり直したい、

しかし、そんなことを考えても何も前に進まない。どうやってこれからを乗り越えていくべきか、なんとか模索してきた。友だちが薦めてくれるスピリチュアル系のセラピーに参加したり、レメディーを試してみたりした。鬱を克服した友だちに、通院以外に何かやってみて効果があったものがないか聞いてみたりした。

そして、自分は疲れて果ててしまった。もうやめよう。悪あがきはやめよう。そう思って、半年くらい前に自分は一切を放棄した。何もかもが自分を焦らせる。だから、いったん開き直って全てを受け入れよう。

体調が悪い?ずっとしんどい?いいよ、一生しんどくていいよ。一生がまんするよ。

仕事ができない?お金が稼げない?いいよ、一生働けなくてもいいよ。一生生活保護でも構わないよ。生きるために、なりふりかまってなんかいられないんだよ。

ちょっと極端かもしれないが、そうでも思わないと、自分の背負っているものが重すぎて耐えられないと考えたのだ。もちろん本気で「一生働かない」「一生生活保護」で暮らしたいとは思っていない。しかし、最悪の場合そういう選択肢も受け入れ、プライドも捨てて社会的責任も放棄してしまうことによって、少しでも心が軽くならないか。ここ半年くらい、そう思って暮らしてきた。

するとどうなったか。

なんにも変わりはしない。相変わらず気がつくと昔のことばかり考えている。勝手に頭に浮かんでくるのだ。そして、ふと我に返るとこれからどうすればいいか途方に暮れてしまう。

ちっとも開き直れていない自分がここにいる。