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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2013年2月15日

昨日の昼、妻に「そろそろ生活保護の相談に行く?」と言われた。

そうだった。先日の帰省で交通費などたくさんお金がかかることはわかっていた。妻の生命保険を解約すればまだ多少延命はできるものの、現時点ではもう貯金は待ったなし。だから、法事が終わったら生活保護の相談に区役所に行こうと言っていたのだ。

しかし、不意をつかれたように言われたその言葉に、自分は動揺した。「今?」と妻に尋ねたら、「今・・・じゃだめ?」との返事。さらに動揺した。とたんに気分がずーんと重くなり、鬱に落ちてしまった。そして、まだ疲れが抜けきってないのと、夜の眠りが浅いこともあってか、そのまま夕方くらいまで寝てしまった。

自分は、まだ覚悟ができていない。

生活保護という制度は、憲法で保証されている基本的人権を守るための、最後のセーフティーネットである。最近では不正受給やら働けるのに働かないやらの問題もあるが、本当に困っている人にとっては最後の命綱であり、自分たちが本当に困っていることは事実である。

しかし、たとえ頭でわかっているつもりだが、現実を見ることを拒否している自分がここにいる。「生活保護には頼りたくない」のが本心であるし、実際に友だちにもそう話している。しかし、みんな口をそろえて「そんな引け目を感じなくても、堂々と生活保護を受けたらいいよ」と言ってくれる。

違うのだ。引け目を感じる、というのとは違う。生活保護を実際に受給している方々には大変失礼だということを承知で敢えて書くが、自分の中には「そこまで落ちぶれたくない」というプライドがまだまだ根強く残っているのだ。

人生、何もかも理想通りに運ぶことはない。とは言え、別にそんなに高い理想を掲げていたわけではない。普通に就職して、普通に結婚して、普通に食べていけるだけのお給料をもらい、2人くらい子どもを作って明るい家庭を築いて、そんな「当たり前の日常」が自分の理想だった。自分が生活に困窮することになるなんて、ゆめゆめ思ってもいなかった。

だが、病気になってから、どんどんその理想から現実が離れていった。

「なんでこんなことに」
「本当ならこんなことには」
「本当ならこんなはずでは」

いつも心の底ではそう思っていた。

本当も何も、今実際に自分に起こっているできごと全てが本当のことなのだが、自分の中の「本当なら」は、上に書いた「平々凡々な家庭」だった。それすらも叶わないどころか、あとは生活保護に頼るしかないということが、最後の最後まで受け入れられない。それを阻んでいるのは、今となっては何の価値もないプライド。

あまりこういう書き方はしたくないが、自分は子どもの頃から優等生だった。
当たり前のように進学校に入り、当たり前のように一流大学に入り、当たり前とはいかなかったが、バブル崩壊の直後、4次面接まで突破して一流企業に入って、ばりばり仕事をしていた。独身時代、それも病気になる前は個人的にはかなりバブリーだった。あまり表には出さなかったつもりだが、エリート意識はかなり高かった。

麻痺してしまった金銭感覚を落とすのにはかなり時間がかかったが、年月をかけて刷り込まれたエリート意識は未だに自分の中に根強く残り、よけいなプライドを落としきることができない。

先日、学生時代の友人たちと久しぶりに会えて、本当に楽しかったのだが、その反面、ものすごく羨ましかった。世界中を飛び回っている優秀な医者もいれば、アメリカの科学雑誌に論文が掲載された優秀な研究者もいる。みんな働き盛りで「超忙しい」人ばかりである。彼らは彼らで大変だろう。しかし、それが私には羨ましかった。

人と比べてもしかたがない。昔の自分と比べてもしかたがない。しかたがないとわかっていても、どうしても比べてしまう自分がここにいる。そして卑下する自分がここにいる。

あるがままを受けれられる覚悟が、自分にはまだできていない。

現実は残酷だ。