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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2005年4月5日

4時40分起床。やけに早い。今日は病院へ行ってから会社の人事部に面接へ行く、大事な日である。昨日あちこち歩き回って、帰ってきてから料理もしたのでけっこう疲れていた。「明日は寝坊できないぞ」と思ってさっさと22時頃寝たのだ。ぐっすり眠って目を覚ますと2時半。ありゃ、まだこんな時間か。そう思って寝たがまた3時半に目を覚ます。そしてまたまた寝たが4時半に目を覚まし、それ以上眠れなくなったので起きてきた。

7時半頃、予定より早いが家を出る。今の主治医は今日で終わりで、別の病院へ移ってしまう。この際だから私も病院を移ることにした。そもそも今の病院は家からも会社からも遠い。以前は近くの病院に通っていたのだが、入院が必要だということで、精神科の入院施設のある今の病院に移ったのだ。復職もできそうだし、また家から近い病院に移ろう。

診察では調子がかなり安定して、鬱や不安、慢性疲労といった症状がなく、朝もちゃんと起きられるということを話した。主治医は「今回は私も勉強になりました」と言った。デパスは本来、抗不安薬であり、抗鬱剤ではない。抗鬱剤ばかりあれやこれや変えてみたが、最終的にデパスで安定したというのは意外だったようだ。私の周りではうつ病でデパスを飲んでいる人、けっこういるけどなあ。

次回から通院する病院への紹介状を書いてもらい、病院をあとにした。この病院に来ることはもうないかもしれない。あるとすれば、再び入院が必要になったときだ。そんなときは永遠に来なければいいが。

15時からは人事部の人と面接。まず復職までの段取りについての説明があった。いきなり復職ということではなく、最初の3ヶ月は仮出社期間。給料は出るが、人事上はまだ休職扱い。この期間は8:40から17:10までの定時勤務。毎日この7時間半ちゃんと勤務できると、正式に復職ということになる。

最初からフルできつい仕事を与えられるということはないと思うが、ただコピーを取ったり、ということでもない。少なくともエンジニアとして一定のアウトプットを出せる仕事をアサインされる。IT業界で4年というブランクはあまりにも長いが、そこは当然考慮するということなので、焦らずにもう一度地道にやろう。

仮出社期間が終わった時点で「OKです」「だめでした」ということを判断するわけではなく、その2週間前くらいに、上司、人事部、嘱託医と面接して復職可能かどうかが決まる。この時点でアウトだと、残念ながら退職せざるを得ない。また、復職できたとしても、その後にまた調子を崩して休みが続いたりするようだと、二度目の休職はないので、その時点で退職しなければならない。人事部の人は済まなさそうに話してくれたが、そんなことは当然覚悟している。

復帰先の部署も仮決定していたので、人事部から部長へ話は通っているそうだ。復帰の時期に関しては「こちらとしては別に明日からでもかまいません」と伝えた。あとは部長と面接して、現場での受け入れ態勢が整い次第、職場復帰となる。会社からの連絡待ちである。おそらく今月半ばくらいから復帰できるだろう。

長いトンネルだった。やっと戻れる。やっと社会復帰できる。嬉しくて帰りの電車で泣きそうになった。今まで何もかもが不安でしかたがなかった。調子が悪くて動けなくなり、家で寝ていると「何でこんなに辛い思いをしないといけないのだろう」といつも思っていた。何度首をつろうと思ったかわからない。割と調子がよくて外出しても「みんなが一生懸命働いているのに、自分は仕事もしないでお金だけもらって遊んで食って、いったい何をやっているんだろう。同期の連中は管理職になっているというのに」と負い目を感じることもしばしばあった。ずいぶん回り道をしたけど、これからはまた無理をしない範囲で仕事をして、労働の対価として収入を得て、贅沢でなくてもいいから彼女と助け合って2人で暮らしていこう。