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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2005年2月

いかん、今日は調子が悪い。

ここ数日は割と安定していたのだが、今日は朝から調子がいまいちだ。昼過ぎ、14時から16時半くらいまで寝たのだが、寝てもすっきりしない。頭がずっとぼ〜っとしている。

最近頭がぼけている。スーパーやコンビニで買い物をして、代金よりも少ないお金を出してお釣りをぼ〜っと待っていることが3回くらい続いた。今日は気をつけなくては、と思ったのにまたやってしまった。頭のねじがゆるんでいるようだ。しんどいながらも、できるだけ動くようにしようとしてキッチンに立った。今日はけんちん汁を作ったのだが、レシピの紙を何回読んでも手順が頭に入らない。そしてちょっと間違えてしまった。本当に頭がぼけている。こんな調子で大丈夫なのだろうか。

今日は会社の健康管理室に行って嘱託医と面接した。

もう自分には時間がない。休職のリミットは今年の6月いっぱいなのだ。どこかのタイミングで出るしかない。とにかく決めてしまって、それに向けて動き出さなければならない。「5月でいきましょう」嘱託医は言った。3月というのも今からでは難しいが、4月では会社でも人事異動などであわただしくなる。復職したときに周りの環境が落ち着いていた方がいい。しかし6月はもうぎりぎりなので、5月で行こう、ということなのだ。

調子が良くても悪くても、出るしかない。嘱託医の見立てでは、この数ヶ月で私自身の状態は改善しているし、多分大丈夫だろうということだ。以前と比べると、割と最近は安定傾向にある。今後は通院している病院の主治医と復職の可能性について相談し、3月に入った頃に人事部と相談することにした。

職場に復帰してやっていけるかどうかは、正直言って全く自信がない。しかし、このままこの生活を続けることもできない。やってみるしかないのだ。

今日は豚肉のしょうが焼きを作った。簡単な割においしくできた。私のようなど素人でもレシピ通りに作ればうまくできるのが、なんだか不思議なようで当たり前のようで、やっぱり不思議なのだ。

しばらく日記を書いてなかった。調子が悪かったわけではない。むしろ最近は安定している。ちょっとさぼっていたのだ。

今日は診察日だった。割と安定していることを主治医に話すと、「今の状態は自分の中で100点満点中何点ですか?」と聞かれた。「60点くらいですかね」と答えた。今くらいの状態であれば、ぎりぎりの線でなんとか仕事をすることはできるかもしれない。学生時代はテストで60点以上取れないと単位が取れなかった。そのぎりぎりの線、という感じだ。しかし、ゆっくり家で静養していてやっとこの状態なので、実際に職場に戻ってちゃんとやっていけるかはわからない。今よりも確実にストレスが増えるのだから。

「去年入院中に躁転しましたが、そのときは何点でしたか?」とも聞かれた。難しい質問なのだ。「躁状態」のときは自分では「調子がいい」と思ってしまうのだ。躁状態は、それはそれで躁うつ病の症状の一つなのでまともな状態ではないのだが、本人の自覚がないので困るのだ。「そのときの自分では120点くらいの感じでした。ただ、ノーマルな自分から見ると明らかにあれは異常な状態でした」と答えた。何か答えが返ってくるかと思ったら「そうですか」で終わってしまった。

今日は実は予約が9時だったので、7時半の電車に乗るつもりだった。が、目覚ましが鳴って目が覚めても動くことができず、8時半くらいに起きて「やばいやばい」と言いながらあたふたして出て行った。鬱ではない。ものすごく眠たかった。眠剤が残っているのかもしれない。そのことを話したのだが、とりあえず薬はそのままとなった。「これからは徐々に起きる時間を早くしていって生活のリズムを整えていった方がいいでしょう」と言われた。やっと安定してきたので、職場復帰に向けて動き出すべき時期に来ている、との判断のようだ。

最近は料理を手伝うことが多くなって、たまに自分で全部やってみたりもする。今まではちゃんと料理をしたことはなかったのだが、やってみるとおもしろい。先週作った「ナスと挽肉のカレー」はうまくできた。ネットでレシピを検索して作ってみたのだが、「最初に玉ねぎを飴色になるまで炒める」というのをやってみたら、玉ねぎの甘みが出てとてもおしいかった。その他に餃子を作ったり豚肉とキムチの炒め物を作ったりした。どれもけっこうおいしくできたので、また他の料理に挑戦してみようと思う今日この頃なのだ。