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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2003年10月12日

今日も調子がよくない。

昨日は22時頃寝て、朝は7時頃起きた。しばらくネットしたりして起きていたが、また寝てしまった。そして昼頃起きたがだるい。ひたすらだるい。なぜなのか。やはり昨日の疲れだろうか。

今日は彼女が10時から13時までバイト。昼過ぎに戻ってきた彼女と昼ごはんを食べ、しばらくのんびりしていた。彼女がほしい本があるから本屋に行きたい、というのでちょっと迷ったが、重い腰を上げて一緒に行く。

なんとか横浜まで一緒に行ったがだるさは取れない。ただ体がだるいだけでなく、頭の中にもやがかかったような状態で、自分が何をしていいかわからない。まるで思考回路がショートしたかのようだ。今から自分は何をすればいいのか、これからどこへ行くか全く決められない。鬱のときの特徴だ。やはりまだ不調は続いている。

最近節約のために本を買うのも控えていたが、「心の疲れをとるちょっとした方法」という本を買ってしまった。今まで何10冊と同じような本を読んできて、どうせ同じようなことしか書いてないだろうに、たった1つでもいいから何か自分にとって合う方法がないだろうか、何かヒントになるものはないだろうか、そう思ってこの手の類の本に手を伸ばしてしまう。

家に帰ってきてからも疲れてぐったり。なかなか調子がよくならない。今日外出したのは判断ミスだったか。おとなしく家で寝ているべきだっただろうか。夕食を食べた後、布団に横になってしばらく自律訓練法をみっちりやってみた。両手両足にかかる重量感。かなり自律訓練法が効いているようである。ということはやはり相当疲れが溜まっていたのか。無意識のうちに体に力が入っていたのか。何も緊張する必要がないのに、勝手に体が緊張状態になっていたのであろうか。やはり自律神経の不調から来ているのだろうか。

自律訓練法を終えてから少し体を動かそうと思って洗濯物をたたむ。少し動くとやはりしんどさを感じる。そしてまた、何週間か前のように「祈りの境地」に入った。ただひたすら祈る。誰に、何に、というわけではないが、ただ祈る。「どうか調子がよくなりますように。調子がよくなりますように。今までしてきた過ちはすべて悔い改めます。迷惑をかけた人には謝ります。だから、誰か私の調子をよくしてください」ひたすら祈る。

この前と違うのは「懺悔の心」が加わったことか。前はただ「調子がよくなりますように」だったのが、何の罪に対して、というわけでもないのだが「俺が悪かった、だから許してくれ」という気持ちが入っている。こういう境地になったのもはじめてだ。こういう心境のときに本物(あるいはにせもの)の宗教につかまるとやばいかもしれないなあ。「藁にもすがる思い」というのはこういうことを指すのか。

祈りが通じたのか、勝手に波があがっていたのかわからないが、その後少し気分は落ち着いて、彼女と代わりばんこに自分のお勧めの曲をCDで聴かせたりする。自分が持っているCDも何100枚あるかわからないが、ぜんぜん聴いてないやつばっかりだ。それにしても最近はめっきりCDを買わなくなった。以前は月に10枚くらいのペースで買っていた時期もあったのだが、あの頃は本当に「独身貴族」という感じだったな〜。今はとてもそんな余裕がない。毎日毎日1円単位で家計簿をつけては、支出のどこを削れるか考えているのだ。はぁ〜、一度ぜいたくな暮らしをしてしまうと、なかなか生活レベルを落とすのは苦しい。それでも地道に節約するのだ。

また調子が悪くなってきた今日この頃、早ければ来年の頭くらいには職場復帰できるかな、という以前の見通しもまた先が見えなくなってきた。傷病手当金と貯金でどこまで食いつなげるか、それも自分独りではない。休職のリミットがあること、そして実際には籍は入れてないが、実質的に扶養家族ができたこと、これらがプレッシャーとなっていることは事実で、カウンセリングでもそれについては言及されている。調子が悪いときに考えすぎると自分を追い詰めてしまうので、これ以上考えるのはよそう。