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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2003年7月5日

昨日の睡眠の状況

 20:30 就寝
 23:05 中途覚醒
 0:37 中途覚醒 追加眠剤
 2:03 中途覚醒
 2:10 中途覚醒 喫煙所で一服
 3:13 起床

昨日は夜に疲れを感じていたので早く寝た。睡眠の状況はいつもと同じで中途覚醒が4回、追加眠剤は1回。実は3時過ぎに起きてきたときに、喫煙所で一服しているとあくびが出てきたのでもう一度眠れるかと思って一度ベッドに戻ったのだが、やはり眠れなくて4時にまたホールに出てきてこれを書いている。早く寝た分、早く起きてしまった感じだ。それでも20時半から3時までならトータルで6時間半は眠っているので、まあいいだろう。

朝食後、少し横になって音楽を聴いた後、散歩に行く。外は曇りだが気温は高い。今日は31℃まであがるそうだ。暑さに弱い私はちょっとやだやだである。作業棟の前にいるいつもの猫たちがいない。どこへ行ったのだろう。猫はどこから来てどこへ行ってしまうのだろうか。時々群れで場所を移動するのだろうか。渡り鳥のように。そう言えば、以前本屋で「なぜ鳩の死体は見つからないか」とかいう題名の本があって、手にとってぱらぱらと立ち読みしたことがある。鳩は都会でも公園やら駅前やらにたくさんいるのに、鳩の死骸を目にすることはない。なぜだろう、鳩はどこで死ぬのだろうか。そういう疑問を解明しようとした本であった。最初ちょこっと読んで「なるほど確かにそうだなあ。あれだけたくさん鳩がいるのに、死体を見たことないなあ。どうなってるんだろう」と興味をそそられたが、斜め読みしているうちに話が変な方向にずれてきて、結論は「鳩は死ぬ瞬間に消滅するのだ」と書いてあってずっこけた。著者を見ると矢追純一であった。

外泊の用意をして病院を出る。今日から2泊3日の外泊だ。月曜日の朝に帰ってきてデイケアに出る予定だ。外はもう暑くなっている。途中、横浜で買い物をして家路につく。

家に帰っていろいろ雑事をこなす。休憩を入れればいいのに、ついあれもこれもと次から次へと休みなくやってしまう。悪い癖だとわかっているのに、なかなか体が言うことを聞いてくれない。バイトが昼休みの彼女が13時にやってきて、やっと一息つく。でも14時前にバイトに戻っていってしまうとまたせっせと雑事を始めてしまう。ゆっくり休めと言うのに、自分め〜。

このシグマリオン3にはメモ帳のようなテキストエディタはついていなかった。その代わりWordpadのCE版がインストールされていたので、それで日記を書いていたのだが、少々重かったため、Vectorで軽いエディタを探す。EmEditor for CEというシェアウェアを見つけてインストールしたとことろ、さくさく動くので早速こいつをプロレジで購入。これで使い勝手が良くなったぞ。

それにしても今日は肩凝りがひどい。ストレッチをしたりヨガをやったり、ハンディマッサージ機を使ったりするがさっぱりよくならない。いつだったか、肩凝りは自律神経の狂いから来ている、とカウンセラーに言われたことがある。やはり疲れがたまると自律神経も狂ってきて、いろんなところに症状として現れるものなのか。私は疲れがたまるとジンマシンが出たり喘息が出たり肩凝りが出たり、もう大変である。アトピーがひどくなることもあれば鬱に陥ることもある。

17時ごろ、家を出て合唱団Pの練習に向かう。途中、体育館シューズを入れるためのシューズ袋を買おうと思って横浜のデパートや駅ビルのスポーツ店に寄った。今は病院で持ち歩くのにコンビニの袋に入れているのだが、それではなんだかなあ、ちょっとださださかなあ、と思ったのだ。いや別にコンビニの袋でもいいのだが、やっぱり自分的にはなんだかなあ、なのである。だがどこにも置いてなかった。まあいいや。100円ショップ辺りで大きめの巾着袋でも探してこよう。コンビニ袋よりましだろう。

空振りの買い物をしているうちに少し合唱団Pの練習に遅刻してしまった。途中マックによって手早く夕食を済ます。ダイエット中なのでチーズバーガーとポテトのSだけ。合唱団Pでは久々にモテットを歌ったら、まあまあすっかり忘れていることだ。そして怒涛のようにプーランクの練習が始まる。う〜ん、何回やっても難解だ。いや、しゃれのつもりだけど。未だにちゃんと読めてないフランス語の歌詞がある。明日は本番指揮者の練習だから、それまでにカナをふっておかなくては。練習の帰りにコンビニによってカナをふった歌詞一覧をコピーさせてもらう。

合唱団Pの練習は通常は21時までなのだが、最近は曲が難しくてなかなか進まないこともあり、21時半までやっている。さらに今日は帰りに団員指揮者のHさんの家に寄って帰った。再来週に別の合唱団の演奏会があって、そのパンフレットに合唱団Pのチラシを挟み込ませてもらうことになったのだが、その挟み込みに私が行くことになったのだ。知り合いがいる合唱団だし、ついでに聴いてこよう。それで、そのチラシの束を取りにHさんの家に寄ったのだ。家に帰ってきたら23時近くになってしまった。

帰ってきて、どっと疲れが出てくる。やはり外にいるときは無意識のうちに気が張っているのだろう。うちにいると反動で疲れがあふれ出てくる。なんか変な表現だが、そんな感じなのだ。疲れても疲れても、疲れ足りない。そして毎日毎日寝たきりになって、一人悩んでいる自分が入院前の自分だった。私は一生入院していなければならないのだろうか。