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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2003年5月5日

今日、合唱団Pの合宿から帰ってきた。いや〜歌って飲んで遊んで疲れた疲れた。場所は甲斐大泉の音楽団体用ペンション。

<初日>
学生時代の後輩が運転するレンタカーでに4人相乗りしてペンションへ。朝8時半集合だが、起きたのは朝の5時。いつもならまた寝てしまうところだが、眠ったら最後と思い、必死に起きているためにブラームスの曲をMIDIに打ち込む。あ、これは3日の日記に書いたっけな?その後、体が動くうちに早目に家を出て、日吉のスタバで時間をつぶしてからみんなと合流。同乗者は学生時代の合唱団Hの4年後輩のS君、6年後輩のU君、合唱団H出身ではないが、同じ大学出身で6年後輩のYさん。同窓カーになってしまった。最近合唱団PのH出身人口がますます増加している。会社の後輩でもあるU君の的確な判断の元、車はGWにもかかわらず渋滞に一度もひっかからずに時間までに目的地へ着いた。14時から練習開始。モテットを2曲、プーランクを2曲やって午後の練習は終わり。夕食の後、夜の練習はブラームスを2曲。疲れたが、なんとかまだ体力はもっていた。宴会に途中まで参加して、0時前に寝た。

<2日目>
5時に目が覚める。あれだけ疲れていてもこの時間に目が覚める。外をぶらっと散歩してから戻ってきてまた寝た。朝食は8時から。
午前中の練習は、ブラームスをちょこっと全体でやってから、男女に分かれてパート練習。ブラームスを1曲とプーランクを2曲、音取りの難しい曲をやった。1人ずつ歌わされる場面もあり、なかなか有意義だった。昼食後はまたパート練習の続き。プーランクの続きをやった。実はこの時点で私はかなり疲れを感じていて、発声もままならない状態だった。なんとかパート練習を終えたあとは、全体練習を休んで夕食まで部屋で寝ていた。やはり人並みの体力は回復していない。夕食前には少し喘息も出てきた。
夕食後、夜の練習は、ブラームスを2曲、そして久しぶりにネーニエを歌った。休んだおかげで体力も回復して無事練習に参加でき、0時過ぎまでの宴会にも参加。
宴会後、眠剤を飲んで寝ようとするがなかなか眠れず。少なくとも2時過ぎまでは寝つけなかった。これだけ疲れているのに。昼間寝たせいだろうか。

<3日目>
5時前起床。3時間も寝てないじゃないか畜生。5時半頃またまた散歩に出る。天気もよく、空気もすがすがしく、小鳥の鳴き声も美しい。周りはペンションや別荘だらけだ。ぐるっと一周して帰ってきて、今日は二度寝せずにホールで過ごす。
朝食後、最後の練習。まずはモテットをさらりと流す。そしてモンテヴェルディのマドリガルを1曲。私はこの曲は初見だったが、うむ難しい曲がまた出てきたわい。まあ、音は難しくはないのだが、歌いまわしとかがねえ〜。
解散後、同窓カーは渋滞を避けるべく、合宿地の周辺で遊んでから夕方に帰ることに決定。11時半頃から移動し、なんたら山の頂上まで車で行ったり、リフトに乗って標高1900メートルまで上がってのんびりと景色を楽しんだりしていた。15時頃に再び移動し、いったん高速に乗るものの渋滞情報で240分などという数字を見てあっさりと降り、河口湖と山中湖に寄って夕焼け空を楽しむ。そしてそのまま山中湖から丹沢の裏手を通って相模湖近辺を経由し、20時頃横浜に戻ってきた。ファミレスで22時頃まで飯を食いつつ音楽談義。自宅まで車で送ってもらってさようなら。帰ってきたとたん疲れがどばー。ああ、はよ寝よ。