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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2002年12月

今日はデイケアは休んだ。これは昨日からそういう予定にしていた。昨日スポーツでかなり疲れたので今日は疲労がたまっているだろうと予想したこと、それから明日に鎌倉散策の予定なので、それに備えて体を休めようとしたことから休むことにしておいた。

と言うわけで、今日は一日寝ていた。案の定、体に疲労が溜まっており、朝は体がだるくて起き上がれなかった。バイトが休みの彼女が昼から来る予定になっていたが、10時半頃に「暇だから行っていい?」という電話がかかってきて、予定よりも早くやってきた。昼食を食べたり話をしていたが、やはり疲れているので自分はごろっと横になって、またまた寝てしまった。友達と会う約束があるというので彼女は夕方に行ってしまい、その後もまた寝る。夜になってから弁当を買ってきて夕食にし、テレビをぼや〜っと見ていて今日は終わった。じゅうぶん休息したおかげでやっと体の疲れは取れた。明日は気温は下がるが晴れるらしい。朝比奈切り通しから十二所を通って林道を歩きながら途中の神社仏閣めぐり。楽しみである。次の日曜日は久々に山岳会のイベントに参加する予定で、西丹沢の林道を歩く。が、天気予報は雨である。晴れてくれないものかなあ。どうも最近お天気に恵まれない。

昨晩は23時頃に寝ようとしたが、0時過ぎまで眠れなかった記憶がある。そして目が覚めたのは3時半。もう一度寝ようとしたが眠れなかったので、それからずっと起きている。早朝覚醒再び、である。

しかしながら朝になっても調子は悪くならなかった。今までは朝早く目が覚めても、朝方に再び眠たくなったり鬱な気分に襲われたりして二度寝してしまい、そのまま動けなくなってしまうパターンが多かったが、今日はすこぶる快調で、デイケアのメニューをフルにこなすことができた。

夜が明けるまで何をしていたっけ?そうそう、PCの調子が悪くて悪戦苦闘したあげく、新しいPCをオンラインで注文したのだった。私は今VAIOのノートを使っているのだが、こいつが起動している間「ガタガタガタガタ」という振動音が鳴ってうるさいのだ。そしてそのうちに本体の一部が異常に熱くなる。おそらく冷却ファンがいかれているのだと思うが、デスクトップ機と違っておいそれと開けてみるわけにはいかない。そのうち時々急にリセットがかかって再起動してしまったり、急にフリーズしてしまったりする。そして再起動してもすぐに自動的に電源が切れてしまったりする。おそらく熱暴走を防ぐための回路が作動しているのだと思うが、そうなったら冷めるのを待ってから再起動したり、とめんどくさい。うちわで扇いで冷ましたり、デフラグをやってて途中でリセットがかかるのを避けるために「熱さまシート」をPCに貼ったりしたこともある。そんな風にだましだまし使っていたのだが、最近どんどん調子が悪くなってきて頻繁にPCがおかしくなるようになり、今朝はそれで悪戦苦闘していたのだった。このままだと熱で回路がやられて本当に作動しなくなるかもしれない。そう思って、新しいPCをネットで買ってしまった。実はこの前のPCもVAIOだったのだが、そいつもハード障害で壊れた。もうVAIOはごめんだった。次に買うなら会社でも使っているDELLにしよう、そう決めていたのでさっそくDELLのサイトにアクセスして注文してしまった。今月は会社からお見舞金が出たし、いつも年末調整で数万返ってくるのでそれもあてにしている(とらぬ狸の皮算用だが)し、さらに7月から9月分のデイケア通院の交通費も振り込まれるはずだ。臨時収入がいろいろとあるので、思い切って買った。早く届かないかなあ。

交通費が振り込まれると書いたがこれは、「精神障害者通院費公費負担制度」というのを私が利用しているためで(つまり精神障害者の身分に片足突っ込んでしまっているということなのだが…)、申請して通れば通院費のうち診療費は5%負担、薬剤は無料、さらに通院にかかる交通費が支給されるのだ。どこから支給されるかと言うと税金なので、市民の皆様すみませんです。デイケアは基本的に毎日だが、そんなには行けていない。が、往復で1500円くらい交通費がかかるのでばかにならない。デイケア通院も一回行けば普通の診察より高い金がかかる。というわけでこの制度を利用させてもらっている。

今日は調子がいいせいか、鬱とは関係ない話をだらだら書いているが、まあこんな日もあっていいだろう。デイケアのプログラムは午前中はスポーツ。今日はなんとポートボールをやった。ポートボールである。バスケに似ていて、ゴールの代わりに椅子の上に人が立っていてボールを受け取るあれである。実に小学生のとき以来だった。前半5分、後半5分の試合をしたが、たったそれだけで超つかれた。かなりハードに動き回ったが、体力の衰えは激しく本当にばてばてだった。その後はバレーをやったが、やっているうちに体力が回復してきてあまり疲れを感じないようになってきた。体がやっと慣れてきたのだろうか。

午後からは、金曜日の鎌倉散策のコースを再び検討する。その後15時から英検クラブ。準1級の参考書をはじめて開いてみたが、見たこともない単語、見覚えはあるがさっぱり意味を覚えてない単語のオンパレードである。思ったよりハードルは高そうだ。まあ、英語の勉強はやっていて損はないだろう。最近の思考能力が衰えて腐りかけている脳みそにはいい刺激になるかもしれない。

今日は朝起きたら全身筋肉痛で、体がとても疲れていた。昨日のスポーツの疲れが残っている。しかしそれはお見通し、というか予想通りだ。体力がめっきり落ちた昨今、スポーツをした次の日はかならず疲労で休んでいる。どうせそうだろうと思っていたら案の定、というわけで早々にデイケアを休みに決めてまた寝る。

14時頃まで寝ていた。その後起きて郵便局に行ったりパンを買ってきて食べたりしたが、また寝てしまった。体の疲労はまだ取れなくて、全身がだるい。16時頃、桜木町でのカウンセリングが終わった彼女から電話がかかってきて、横浜で落ち合うことになったので、そのまま横浜へ出る。

英検の申し込み用の写真を明日持っていかないといけないので、ヨドバシカメラのインスタント撮影機で取った。最近の自動撮影機はプリクラみたいに進化しているのでちょっと驚いた。カメラに映っている自分の顔がリアルタイムに正面のモニタに表示され、撮り終えた後にプレビューできて、NGなら取り直しができるようになっていた。出てきた写真も背景に定規のような罫線が書かれており、必要なサイズに切り取るのも簡単そうだ。全部デジタル処理になったからこういうことができるようになったのだろうなあ。

彼女が東急ハンズに用があるというので、その後ハンズへ行ってウィンドウショッピング。この季節はクリスマス商品でいっぱいだ。見ているだけでも飽きない。そして相鉄ジョイナスの地下のハングリータイガーで夕食を食べる。ちょっとやっぱりまだ疲れ気味だ。そのままおとなしく家に帰ったが、なかなか体のだるさは消えない。せめて明日になれば疲れが取れていてくれればいいのだが。明日はできれば朝からデイケアに参加したいと思っているが、体の疲れが残っていないかどうか心配。メンタル面では「多分大丈夫」という「予感」なのだが、体の疲れはどうなることやら。今日の調子は「予想」できたが、明日の調子は予想できない。

昨日、「明日はやばいかもしれない」という予感を感じた、と書いた。そしてその予感と正面から向き合うことで乗り切れるかもしれない、そう書いた。

はたして、今日は朝起きてからすこぶる快調だった。昨日の予想は裏切られたのか?いや、そう単純な話ではない。自分でも驚きだが、向き合った結果は思った以上に良好だった、ということだろう。実際、昨夜この日記を書いた後、少し自分の中のもやもやが吐き出せてすっきりした気がした。そして、書く前に感じていた「悪い予感」が薄らいでいたのを感じていたのだ。その結果、今日は調子が好転したに違いない。これも一つのパターンとして、これからも同じような状態に陥ったときには試してみよう。

というわけで、久しぶりにデイケアのプログラムに朝から参加した。午前中はスポーツ。久しぶりにバレーボールと、それから卓球をやった。かなり体がなまっているのでけっこうきつかった。午後からは今週の金曜日に予定されている鎌倉散策のコースをみんなで話し合い、その後は週例のミーティング、掃除、そして15時からはカウンセリングと、月曜日のメニューをフルでこなした。

カウンセリングは2回さぼってしまったため、3週間ぶりだった。とは言えカウンセラーはデイケアの担当スタッフでもあるため、その間まったく会わなかったわけではなく、デイケアルームで話をしたりボーリングをやったりもしていた。まあ、そこでは世間話しかしないが。そうそう、英検クラブもこのカウンセラーが主宰している。

カウンセリングではこの3週間の状態を報告し、前に成功したパターンを試したが今度はうまくいかなかったことや、昨日の日記に書いた「予感」の話、調子が好転した話などをした。自分の予想を裏切って「予感」の話にはあまり突っ込んでこずに、先週の土曜日にヴォーカルアンサンブルの練習と山岳会の仲間の結婚式二次会に行けなかった話にかなり突っ込んできた。誰かに強制されたイベントではなく、あくまでも自分の趣味や友達づきあいのイベントで、当然自分としては「行きたい」と思っているし、行くも行かないも自分が自由に選択できるイベントなのに、なぜその日に調子を崩したのか。プレッシャーになっているとしたら、何がプレッシャーになっているのか。その辺を細かく突いてきた。

結局、自分の中に「自分の理想像」があり、それは以前と同じようにフルで活動できる自分であって、そのつもりで行動したり予定をたててしまうが、理想通りの振る舞いができないことに対するおそれが鬱を引き起こしているのではないだろうか。今日のカウンセリングではそういう話になった。

自分で入れた予定、自分で選択したつもりだが、その裏に「そういう場には参加して当然」と思い込んでいる自分があり、それらのイベントに「参加する」と表明した時点で「約束」が生じる。そう、土曜日の日記のタイトルに書いた「守れなかった約束」が。約束は契約であり、契約を交わした瞬間からそれを守る義務が発生する。その義務が自分を「ねばならない病」に追い込む。「行かねばならない」そう思った瞬間から自分にプレッシャーを与えている。結果、自分で作り出したプレッシャーに縛られて動けなくなるのだとカウンセラーは指摘する。

「義務」「責任」「約束」など、社会生活を営むにおいて、そういった外的制約から逃れられることはできない。そういうものと、これからどううまくつき合って行けばいいのだろうか。今後の自分の課題が見えてきた。

そして今日に限って調子はいい。

昨日あれだけ落ち込んでいたのに、一晩寝るとけろっとしている。朝5時半に起きて、珍しく二度寝せずにずっと起きていた。午前中はテレビを観ていた。サンデージャポンはやっぱおもしろい。

昼からは彼女と一緒に昼食を食べ、雨も降っていることだし家でのんびり過ごした。今日はぜんぜん調子が悪くない。こんな何もない日に限って?「今日に予定があったらよかったのにね」彼女がそう言う。

だが、そういうわけではないような気がする。たとえ昨日の予定が今日にあったとしても、そのときは今日に調子を崩しているだろう。確かではないが、昨日のように大きな予定が一日に二つもあると、それだけで自分自身にプレッシャーを感じてしまい、それに押しつぶされてしまっていたのだと思う。カウンセリングでも以前指摘されたことだ。

そして何にプレッシャーを感じているのか。外に出ることではなく、人と交わることでもなく、「体力がもたずに途中でギブアップすること」を恐れているのではないか。これも以前カウンセリングの中で言われたことで、あくまでカウンセラーの見解であった。それを言われたときは自分の中ではあまり納得がいってなかった。しかし、今になって考えてみて、確かに「そうかもしれない」と思うようになった。

昨日のイベントはデイケアのプログラムなどとは違って、自分の趣味や友達づきあいであり、参加するしないは自分の意思によるものだ。そして自分が「参加したい」と思ったからこそ参加表明をしていた。しかし、いざとなるとそれがプレッシャーになるのだ。最後まで体がもたずに「途中で投げ出す」自分の姿を人に晒すことに対しておおいに脅威を抱いている。そうカウンセラーは指摘する。

そして明日である。月曜日。毎週書いているがブルーマンデー。前にちらっと書いたが、「明日はどうも行けそうにないんじゃないか」という「予感」を前の日から感じることがある。そしてたいていその予感は当たっている。しかし、今まではその予感を感じても、それを無視してきた。自分でなんとなく「明日は無理じゃないか」と感じても、あえて日記は「明日はどうなるだろう」とか「明日こそデイケアに行こう」そういうふうに書いてきた。これは現実の自分自身の心と向き合ってないのではないだろうか。

「悪い予感」を感じたその瞬間からプレッシャーはかかり始まっている。その予感から目をそむけるということは、つまりプレッシャーがかかっていることに自分で気がつかなくなる、ということ。そして次の朝、いきなりずどんと来たプレッシャーに押しつぶされて動けなくなるのではないか。

ではどうしたらよいのだろうか。やはりここは「自分の心と真正面に向き合う」ことが必要ではないか。「明日は無理かも、行けないかも」という予感を感じたら、素直に「あ、自分はプレッシャーを感じてるな」と受け入れてしまうのがまず必要なことだろう。そしてその上で「じゃあ、明日起きたら調子が悪い可能性は高い」ということを頭に入れておく。そうすると明日の朝にガツンと来ることはないかもしれない。プレッシャーがかかって調子が悪くても「まあ、予想通りだ」と受け流して開き直ると、案外早く立ち直って午後から行けたりするかもしれない。

今までは、自分の心の声を無視して「絶対行ってやろう」と言い聞かせていたにもかかわらずガツンとプレッシャーに押しつぶされて、そのショックで一日寝込んでしまう、というパターンではなかったか。

なんだかんだ書いたが、カウンセリングの一番最初の頃、もう一年前になるが、これは最初から指摘されていたことだ。自分のプロフィールを語る中で「大学で一番おもしろかった講義は?」という質問に対して「フロイトの夢判断の講義でした」と答えたためだろうか、カウンセラーはいきなりフロイトの理論を持ち出して私の心理分析を始めた。それによると、私は「超自我」=「〜しなければならない、〜ねばならないという外的な制約」が自分の意識と一体化しており、「エス」=「本来の自分の潜在意識。無意識の欲求」が自分でわからなくなっているというのだ。今の自分は「何をしたいか」ということが自分で見えなくなってしまっており、自分の行動基準は「何をしなければならないか」ということにとらわれすぎているという。

自分の無意識の声、「本当は〜したい」あるいは「本当は〜したくない」に気がつき、自分の意識の中に取り込むよって、それはコントロール可能となる。それは一年前に説明された。説明されたが頭で理解できても実感として肌で感じることがなかった。「あくまで自分で気づかないと自分は変えることができません」そうも言われていた。やっと自分の感触としてわかりかけてきたような気がする。少しずつであるが、見えてきたような気がする。焦らずに、少しずつだ。自分の無意識の声が「予感」という形で認識でき、それを認めたからといってすぐに行動に結びつくとは限らない。じょじょに、じょじょに。