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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2001年9月19日

昨日の日記を書いた後、メールチェックをすると、私が出した「ウイルス防災訓練」のメールに反応して、山岳会の会長がMLのみならず、他の山岳関係の各所に警告メールを出している。私はそこで自分のミスに気づいた。「これでは大騒ぎになってしまう」幸いなことに会長が関係各所にBccでなくCcでメールを出していたため、直接相手に説明と謝罪のメールを出したが、そこでタイムリミット。MLにも改めて説明のメールを出そうと思ったが、就寝時間に間に合わなかった。そのまま不安を抱えつつ、眠剤を飲んで床につく。

そして起きる。今日も昨日と同じようなパターンだった。夜中に2、3回目が覚めたあと、4:00にいったん喫煙所に出てきてメールチェックをすると、昨日の「デマウイルス」についての非難のメールが来ている。予想されていたことだが、改めてMLに対して説明と謝罪のメールを出した。その後は、昨日と同じくなんだかまた眠くなって寝てしまい、朝になっても起きることができなかった。

なんだか入院前の状態に戻ってしまったようだ。会社に行けないときのパターンの1つに似ている。今日は「半覚醒状態」はなかったものの、6:00の起床の合図を過ぎても眠たくて起きれなかった。半分起きてはいるが、半分寝ている。ラジオ体操が始まる合図でなんとか起きて、のろのろとラジオ体操をこなし、朝の薬を飲む。そしてのろのろとこれを書いているが、まだ半分頭は寝ぼけている。どうしたことだろう。

朝食を食べた後も眠いというかだるいというか、ずっとベッドに横になってぼ~っとしている。今日はシーツ交換だ。何とかシーツ交換くらいは自分でできた。でもそれをやっただけでまた疲れた。今日は外出して、ちょっとだけ職場にも顔を出す予定だが、行けるのだろうか。出発までにはまだ時間に余裕がある。もう少し休んで様子を見よう。

だめだ。いつの間にか10:30だ。ずっと寝ていた。なぜなんだ。頭がぼ~っとする。会社に行けなかったあの頃と同じ感覚だ。そして今日も会社に行けない、これでは。とりあえず「職場に顔を出す」はずだったが「体調不良で無理」ということを連絡する。

その後はずっと寝ていた。11:00の服薬の放送が入っても起きれず、看護婦さんが呼びに来てやっと飲みに行った。12:00の昼食も同じで、看護婦さんが呼びに来た。なんとか昼食を食べたが、その後もずっと寝ていた。今日は入浴日で、やはり看護婦が呼びに来たが、起きることができずに風呂にも入れなかった。16:00の服薬はなんとか自分で起きていったが、その後もまたずっと寝ていた。途中なんとかメールチェックをすると、まだ非難のメールが来ている。また謝罪する。これも鬱に陥った原因の一つだろうが、それだけではない気がする。考えてみれば、昨日まであんなにコンピュータ雑誌をむさぼり読んでいたのは、また「躁状態」に陥っていたのだ。「ウイルス防災訓練」の社会的影響を予測できなかったのも、躁状態のため、また判断力を失って突っ走ってしまったためだろう。しかし、そのことはMLでは説明できない。ただ自分の非を認め、謝ることしかできない。「またやってしまった」その自己嫌悪が強く、自分を戒めるため、「自分に対する謹慎処分として、会の活動への参加を半年間自粛します」そうメールを送ったら、「気にする必要はないですよ」そういうメールが去年の会長のG氏から帰ってきた。彼は私の日記もずっと読んでいてくれた人で、私の躁鬱のことも読んで覚えているかもしれない。「MLには説明できないけど、こういう状態だったので」との旨をメールで伝える。自己嫌悪の念は強く、その反動が今来ている。

なんとか連絡会の時間には少し回復してホールに出てきた。Kさんが「卓球やろうよ」というので、少しだけやる。それで、また少し回復した。

その後、20:00をまわってからは就寝時間までできるだけ心を休めたい。例の「宗教関係」の本を1章と少しだけ読む。寝る前にメールを読んで、また落ち込むようなことがあると怖いのでメールチェックはしない。今日はできるだけ精神状態を安定させる方向に持っていって就寝することにしよう。